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手賀沼花火大会


手賀沼花火大会は、手賀沼浄化の願いをこめて、柏市、我孫子市合同で手賀沼の周囲(2ヶ所)で行われます。夜空にスターマイン、仕掛花火など約16,000発が(2会場合計)打ち上げられ15年前より手賀沼湖上での風物詩となっています。毎年多くの人が訪れ賑わいます。

 手賀沼花火大会
手賀沼
所在地 千葉県
面積 6.5 km
周囲長 38.0 km
最大水深 3.8 m
平均水深 0.9 m
貯水量 0.0056 km
水面の標高 3 m
成因 河川による堰止湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 過栄養湖
透明度 0.5 m

手賀沼(てがぬま)は、千葉県北部、我孫子市、柏市、印西市、白井市にまたがる湖沼。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。
手賀沼は、もともと「つ」の形をした大きな沼であったが、現在では干拓事業によって約8割の水域が消滅し、北と南に分離された形になっている。この二つの水域は手賀川を介してつながっている。
沼の北から東にかけては我孫子市街地をはさんで利根川が流れ、小貝川の合流点も近い。また、JR常磐線と成田線が北側の沿岸近くを走っている。南には千葉ニュータウンもある。
流域面積は148.85kmキ、流域内の人口は約48万人

手賀沼の歴史
洪積台地にできた侵食谷が溺れ谷となり、さらに利根川の土砂などによってせき止められてできた沼である。中世末までは香取海(かとりのうみ)の入り江で手下浦(てかのうら)と呼ばれていた。
近世初頭以来、沿岸の地は町人請負新田として開発された。1727年(享保12年)江戸幕府(八代将軍徳川吉宗)は勘定吟味役井沢弥惣兵衛為永の建議で沼全体の干拓を計画し、江戸町人高田茂右衛門友清に工事を着手させたが、その後工事計画を変更、沼を上・下に分け、中央に千間堤(浅間堤)を築き、下部のみを干拓した。これにより、約200町歩の新田が拓かれたが、上部沿岸の村々は排水不良となり、毎年のように洪水の被害を受けた。1738年(元文3年)千間堤は決壊し、新田は水没。その後、老中田沼意次や水野忠邦の時にも干拓の努力は続けられたが、洪水と老中失脚とにより成功しなかった。
当時の手賀沼はカモなどの水鳥やコイ、ウナギなどの魚介類に恵まれ、特に水鳥とウナギは江戸の人々に美味として珍重されていた。水鳥猟は張切網によって行われ、手賀沼鳥猟組合が水鳥の減少によって解散する1942年まで続いた。
 手賀沼花火大会の様子
大正時代、湖畔には志賀直哉や武者小路実篤らの別荘もあり、手賀沼は文人ゆかりの地であった。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)農水省の直轄事業として大規模な干拓事業が着手され、1968年(昭和43年)に完成、約500ヘクタールの水田が造成され、沼の面積は著しく減少している。
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